第5章

       非暴力不服従で世界を変えた、真理と信念の偉人
                      マハトマガンディー
   1894年、青年マハトマ・ガンディーは、大英帝国支配下の南アフリカにおける人種差別政策に激しい怒りを覚え、民族抵抗運動を起こす。この運動を皮切りに、ガンジーは人種差別撤廃の理想に燃え、祖国インドでの反英不服従運動の指揮を執ることになる。
1919年インドに導入されたローラッド法案に反対し、インド各地で暴動が起こるが、ガンジーは断食をもって抵抗する。翌年、英国当局に非協力を宣言。スワデシ運動(外国製品非買運動)を展開する。塩の自力生産を訴えた「塩の行進」、議会重視政策への転換等をへて、やがて大英帝国の支配を終結させるが…
ヒンズー教原理主義者により暗殺された。インド独立の最大の功労者であり世界に認められた数少ない有色人種でした。彼の功績を説明しながらその偉大な人物像を説明しましょう。
    生い立ち
 1869年イギリス植民地統治時代のインド、現在のグジャラート州の港町ポールバンダルで、当時のポールバンダル藩王国の宰相カラムチャンド・ガンディーとその夫人プタリーバーイーの子として生まれた。ポールバンダルの小学校に入学後、ラージーコートの小学校に入りなおす。成績が悪く融通もきかない面があった。その後12歳でアルフレッドハイスクールに入学した。18歳でロンドンに渡り、インナー・テンプル法曹学院に入学し、弁護士となる勉強をする。南アフリカで弁護士をする傍らで公民権運動に参加し、帰国後はインドの英国からの独立運動を指揮した。その形は民衆暴動の形をとるものではなく、「非暴力・不服従」を提唱した。この思想(彼自身の造語によりサッティヤーグラハすなわち真理の把握と名付けられた)はインドを独立させ、大英帝国を英連邦へと転換させただけでなく、政治思想として植民地解放運動や人権運動の領域において平和主義的手法として世界中に大きな影響を与えた。
 性格的には自分に厳しく他人に対しては常に公平で寛大な態度で接したが、親族に対しても極端な禁欲を強いて反発を招くこともあったという。またナチスのホロコーストに関し、ユダヤ人にも一貫して非暴力・不服従を説いたとされ、シオニズム支持者の中には非現実的であると批判する声もある。
    不服従運動
 第一次世界大戦後は、独立運動をするインド国民会議に加わり、不服従運動で世界的に知られるようになる。またイギリス製品の綿製品を着用せず、伝統的な手法によるインドの綿製品を着用することを呼びかけるなど、不買運動を行った。こうした一連の運動のために、ガンディーはたびたび投獄された。たとえば1922年3月18日には、2年間の不服従運動のために、6年間の懲役刑の判決を受けている。第一次の不服従運動は、1922年にインド民衆が警察署を襲撃して20人ほどの警官を焼死させる事件が発生し中止されたが、1930年より不服従運動は再開された。とりわけ、「塩の行進」と称されるイギリスの塩税に抗議した運動は有名である。ガンディーは、非暴力運動において一番重要なことは自己の内の臆病や不安を乗り越えることであると主張する。ガンディーは、自分の理念を纏め、初めは「神は真理である」と述べていたが、後になると「真理は神である」という言葉に変えている。よって、ガンディー哲学における真理(Satya)とは「神」を意味するのである。そしてガンディーの行動哲学を表した非暴力抵抗運動こそ真理にもとづいた行動であった。
  非暴力によって行われたのガンディー抵抗運動を説明すると以下のようになります。
1893年 南アフリカ 白人の圧迫をうけていたインド人移民の利益を擁護し不服従運動を開始
1894年 インド人に対する選挙制度に反対し署名嘆願書を南アフリカ政庁に提出
1906年 南アフリカ インド人の指紋登録を強制する新アジア法に反対して集会を開く
1907年 インド人の基本的人権を擁護するため、指紋登録拒否の組織的な不服従運動を行う
1913年 植民地政策としてキリスト教以外による結婚は非合法とされたため在留インド人はこれに反発
1917年 ビハールにある藍農園で抑圧されている小作農民の主張を支持 藍小作紛争
1918年 アーフマーダバードの繊維工場のストライキを指導し断食を決行
1919年 イギリス製品のボイコット インド国産品を愛用 手紡ぎ車の奨励を行う
1921年 ボンベイにて外国製布地の焼却 対英非協力宣言による不服従運動
1929年 世界恐慌にともなう民族運動の高揚を背景に、インド独立要求決議
1930年 イギリスの塩税法に対抗し塩の行進を行う。自ら法を破って塩を作ることで逮捕される
1940年 言論、出版、集会の自由を要求する運動を行う

   ガンディーはイギリスと戦った訳ではなく、また宗教対立を起こしたわけでもない。
          彼が戦ったのは罪でありその象徴が七つの社会的罪 
               1  理念なき政治 
               2  労働なき富
               3  良心なき快楽
               4  人格なき学識
               5  道徳なき商業
               6 人間性なき科学
               7  献身なき信仰
                             これを許してはいけないのである。
  死して名を残すことを目的としていないから凄いのである。何を学ぶのかこの人生から、よく考えるとその断片が見えてくる、それは博愛であり無償の愛ではないのか、また何者も真似のできない自己犠牲の精神がガンディーをマハトマガンディーとしたのであろう。大きな正義の前ではその正義の名において悪は退散するしかないのである。だが現在はどうなのだろう、まさしく理念無き政治が横行し、労働なき富に世界が支配されているのではないだろうか、今一度マハトマガンディーの精神を思い出すことができるなら、世界は大きく変われるかもしれないのであるが、私たち一人一人試される時期に来ているとかんじます。

それでは次に博愛というキーワードで紹介したい人物がいますので第6章へご案内いたします。
     第6章世界で一番高潔な女性